《書評》『同姓同名』下村 敦史

読書

発表者がお薦めの一冊を紹介し、
観客が一番読みたくなった本を投票で決定する書評ゲーム
「ビブリオバトル」。

その「ビブリオバトル」で2023年から2024年1月にかけ、
中・高・大学生それぞれの全国大会で優勝本に選ばれた作品。

各年代の全国大会で3冠に輝いた作品は初めてだと聞き、
ワクワクしながら読み始めました。
 ( 結末を暗示する内容が含まれています。これから読まれる方はご注意ください。)

同姓同名 [ 下村 敦史 ]

名前に囚われた人生

犯人の名前を明かしてもいいミステリー。
なぜなら、登場人物全員が大山正紀だから ── 。

猟奇殺人を起こした犯人の名前は「大山正紀」。
それを週刊誌が暴露し、SNSで拡散。
一夜にして、
それまで平穏に暮らしていたその他大勢の大山正紀が
誹謗中傷の嵐に巻き込まれます。
被害に耐えきれなくなった大山正紀たちは
『”大山正紀” 同姓同名被害者の会』を結成。
犯人の大山正紀を特定し、
その素顔を世間に晒せば、
自分たちは救われる。

── などということはないのです。

被害者の会に参加する大山正紀は、
名前に囚われ、
名前のせいで、
この苦しい現実があるのだと考えています。
この名前によって人生が狂った。
この名前によってうまくいかない。
この名前によって嫌われる。

名前、名前、名前、名前、
何もかも名前のせい ─── 。

私たちは、生まれた瞬間に名前をつけられます。
それはラベルです。
本当の自分は名前など持たずに生を受け、
何の印もなくまっさらです。

でも、まっさらでは不便だから(主に周りにとって)、
ラベルを貼られます。
本当の自分に後からつけられたラベル。

ところが、
いつの頃からかそのラベルを自分だと思うようになります。

毎日呼ばれるラベル。
他人と識別するためのラベル。
他者への説明としての「表示」。

いつしかそのラベルが一人歩きし、
本当の自分を置き去りにしていることに気が付きません。
名前が自分。
名前が存在理由

だから、
同じ名前の人間ばかりが集まれば、
存在自体が揺らぎます。
まるで自分がいなくなってしまったかのように。

それは、
名前に囚われた人生です。

 
 「でも、結局のところ、奴は俺たちの人生に踏み入ってはいないんです

  p313

名前はラベル。
犯人の大山正紀も、そのラベルが貼られた一人です。
そこに意味を持たせるのは、
そのラベルに愛着を持ち、
そのラベルに自分の経験を重ね、
そのラベルで自分を説明するからです。

犯人の大山正紀は確かに罪を犯した。
でも、
その他大勢の大山正紀の人生に、
ある時点まではまったく接点を持ちません。
犯人の大山正紀のラベルを自分に転写していたのは、
むしろその他大勢の方なのです。

そのラベルだったことによって、
人生が狂ったのかもしれない。
うまくいかなかったのかもしれない。
嫌われたのかもしれない。

かもしれない。
かもしれない。
かもしれない…

それでも、
かもしれないを考えていては、
終わりのない黒い渦から抜けられなくなります。

私と同じラベルを持った人はおそらくたくさんいるでしょう。
それぞれがそのラベルに違う意味を持たせ、
自分を説明して生きているでしょう。

でも、
本当の自分とはそのラベルではありません。
ラベルには収まりきらないその人の本質、態度、表情、経験…

自分と同じラベルを見つけた時、
そこに何をみるのか。
何を感じるのか。

その揺れが、
ラベルへの依存度を教えてくれます。
私はラベルを生きているのか。
本当の私を生きているのか

何者でもない自分。
その他大勢の自分。

それでも、唯一無二の自分。

軽い気持ちでワクワクしながら手に取った本書が、
思いもかけずラベルに囚われない生き方ということを考える機会を与えてくれました。

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