《書評》『spring』恩田 陸

読書

新聞広告を見た瞬間、「私はこれを待っていたんだ」と一瞬で虜になった本書。

筆記体が滑らかに踊るようなspringという書名。
恩田陸さんの「今まで書いた主人公の中で、これほど萌えたのは初めてです。」という自筆の文字。
主人公の春という名前。
五感を揺さぶられそうな予感。

春一番に読みたくて、すぐに書店に駆け込みました。
 ( 結末を暗示する内容が含まれています。これから読まれる方はご注意ください。)

spring [ 恩田 陸 ]

この世のカタチ

彼の指先に花が咲く。
腕の中には可憐なブーケ。
視線を向ければ樹木が茂り、
彼が動けばこの世のカタチ ──

本書は全4章から成り、第1章から第3章は彼に近しい人たちの目線で語られます。
そこでの彼は、語られる人。

思わず見とれてしまう彼。
ふとした仕草に「やられて」しまう。
その指先に、
爪先に、
目が引き寄せられる。

とても優しいのにとてもクール。
我は強くないのに個性的。

春風がそよいでいるかのような清々しい美しさ。
妖艶で、凄絶で、凄まじい美しさ。

ニッコリと笑う、無邪気な笑み。
何か聖なるものであり、この世のものではなくなる彼。

大きな踊り。
世界を押し広げるような踊り。
ゆるぎない存在感。
ためらいも、試行錯誤も、仕草、黙考、たたずまい…
すべてがいちいち美しい彼。

フワフワしたそよ風男なのに、 官能的な目に吸い込まれそうになる。
お花畑のチョーチョ野郎なのに、 無表情な目に底冷えする。

矛盾しているようなのに、矛盾していない、

そんな彼が存分に語られます。
その語りを聞きながら、彼の魅力を楽しみます。
一緒に思い出すように。
伝記を読むように。
「へえ」と聞いているかのように ── 。

彼はあくまでも語られる人。
鑑賞される人。
この世のカタチを見せようとして、
そのためにするすべてが人目を惹く。

その美しさ、妖艶さ、圧倒的な存在感。

それを眺めていれば良かったのです。
まだ余裕をもって眺めていられたのです。
彼のその時々の活躍を。
第3章までは。

 俺は世界を戦慄せしめているか?

  p436

そんなふうに眺めていた彼が、第4章になって突如目の前に現れます。

生々しく。

官能的に。

飄々として何にも動じず、
周りを巻き込んでも巻き込まれない、
清潔な
魅力的な
天才的な彼。
泥臭い努力を感じさせず、
スマートで美しい彼。

── だったはずなのに、
自分で語り出した彼は、
欲望も、苦悩も、焦燥もある生々しい、

煮詰まって身動き取れない俺。
衝動に駆られる俺。
快感に歓喜する俺。
そして、
怯えていた俺。

焦りと不安の中で見つけた生きていける場所。
自分の中で震えているもう一人の自分。
なかなか姿を現さない俺が、
おずおずとその姿をあらわにする …‥・  

生身の人間としての彼が、
欲望もあり泥臭くもある彼が
うちに秘めたエネルギーをむき出しにして踊る「春の祭典」

それを目撃します。
固唾を呑んで見守ります。
このエネルギーがどこへ向かうのか。
どのように変化するのか。
どうなってしまうのか。

インタビューで著者は、
「私はバレエの世界そのものを描きたかった」
と言われています。
しかも、専門用語は極力使わずに。

その言葉通り、
バレエに疎い私の脳裏にも鮮明な像が現れ、
踊る彼を、
花の香りがする彼を、
音楽が聴こえてくる彼を、
高みに昇ってゆく彼を、

目撃することができました。

「俺は世界を戦慄せしめているか?」

彼の問いは続いています。
その挑戦をずっと目撃し続けたい。
この耽美でロマンティックな世界に浸り続けたい。

そんな感情を強く抱きつつ、最後のページを閉じました。

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