明日はムーンデイ:カラダは道具であるという意識

ヨガ

明日はムーンデイ、新月です。
アシュタンガヨガでは、ムーンデイには練習を行いません。
そんなムーンデイを前に、カラダは道具である、ということについて思いを巡らせてみました。

なぜアーサナの練習をするのか。

カラダを柔らかくするため?
できないポーズができるようになるため?
ダイエット?

まぁ、結果的にそういう一面もあるかもしれませんが、
本来は違います。

なぜアーサナの練習をするのか。

それは、道具であるカラダの機能を最高な状態に近づけるためです。

ヨガ哲学では、カラダは道具であると考えます。
本来の自分に繋がるための道具。

一般的には、カラダを自分と同一視するか、
なにか、目的を達成するための用具として捉えてしまいます。
ですがヨガ哲学では、
カラダを道具、
道に通ずるためのものと考えます。

いい道具であればあるほど、道にちゃんと繋がっていきます。
道具が整えられていないと道を歩むことができません。
だから、道を歩むのに最高な状態にしていくのです。

もちろん、最高な状態がすでにそこにあるわけではありません。
すでにあるなら、練習する必要もありませんものね。

ところが、
今のカラダの状態に囚われると、おもしろい練習はできません。
今日はあのポーズができたとかできなかったとか、
今日はあそこが痛かったとか痛くなかったとか、
そんな現象に囚われていると、
練習を良い悪いの二元的な価値観でジャッジするようになります。

それではどんどん道を外れていきます。

現象に囚われない。
現象は現象として置いておき、快適な方向へと導いていく。
今のカラダの状態がどうであれ、カラダと心が快適な方向へ近づくために練習する。
それが、練習をする理由です。

がむしゃらに頑張らなくても、
無理にポーズを取らなくても、
自然の流れにのって練習する。

頑張っているなら軌道修正が必要です。
そこには無理があるからです。

そもそも、
カラダを自分のものだと思うこと自体が、傲慢な考えなのかもしれません。

24時間機能し、拍動し、呼吸し、働き続けてくれるカラダ。
この精巧な仕組みを、いったい誰が作ったのか。
誰が私に使わせてくれているのか。

そんなカラダを、どれだけ大切に扱っているでしょうか。
無視しては、いないでしょうか。

ここにあるカラダという道具を整えるために。
カラダと心を心地よい状態に、調整していくために。
自然な状態に自分を近づけていくために。
ていねいにお手入れするために。

そんな意識で練習すると、
始める前より終わった後の方が、カラダと心が快適になっているでしょう。

それを、毎日毎回確認していく。
それが練習。

カラダという道具を、今日もお手入れしていきます。

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