《書評》『わかりやすさの罪』武田 砂鉄

読書

なぜこの本を図書館で予約したのか…

忘れた頃に順番が回ってきて、
思い出そうとしながら読み始めましたが、
読んでいるうちにそんなことはどうでも良くなってしまいました。

その時の私は、この本の何かに引っかかって予約した。
その何かを知りたくて、読み進めました。

わかりやすさの罪 [ 武田 砂鉄 ]

わかりやすさに縛られる

いつも読んでいる新聞に、就活特集が組まれていました。
それを見ていて、もうずいぶん前の就職活動時代を思い出しました。
あの自己PRの苦悩。

「これが私です」なんて、一言で言えない。
わかりやすくなんて説明できない。

そんな悶々とした想いを抱えつつ、
雛形参考にそれらしいものを作り出し、
自分をPRする。
「これは一体誰なんだ」と思いながら。

就職活動に限らず、今の社会はわかりやすさを要求してきます。
時短、シンプル、明確、それが正解!
・・・

でも本来、人も世界もそんなにわかりやすいものではないはずです。

 人の心をそう簡単に理解してはいけない。そのまま放置することを覚えなければいけない。あまりに理解が混雑している。説明不足をひとまず受け流さなければいけない。知りたければ問えばいい。話の帰結のために言葉を簡単に用意しない。言葉は、そこから始めるためにある。終着を出発に切り替える作業は、理解を急がないことによって導かれるはずである。

p74

世界はもともと混沌としていて、
その混沌のなかに身を置きつつ「なぜなのか」と考えて、
ある時ふっと「あ、そうか」、ほんのわずかに理解する。
そのわずかな理解が過ぎ去ると、
相も変わらず混沌とした世界にいることに気づき、
ふたたび「なぜなのか」と考える。

そんな繰り返しで自分の世界を少しずつ明確にしていくことが人生なのに、
わかりにくいことを退け、
わかりやすさにどっぷり浸かり、
わかったつもりになる空虚。

わかりやすく脳みその上を滑っていくあれこれは、私になんの理解も与えず、すぐに忘れ去られていきます。

わからないことをわからないままにしておくのは、しんどいものです。
わかるようになるためには時間がかかるし、努力を要します。
わかったと思って決めつけてしまう方が、よほど楽なのです。

でも、
わかりやすさばかりを欲していたら、
どんどん人生が薄っぺらなものになっていきそうな怖さがあります。

わかりやすさとは、
機微や行間、複雑さなどを排除してしまった
つるんとしたあれやこれ。

そんなわかりやすさに縛られず、
複雑な状況に耐え、
自分の頭で考えることが、
人生をつるんとした薄っぺらなものにしないためには必要です。

本書を読み終わり、
わかりやすさには何か危ういものがある、
と感じていた意識が、私にこの本を予約させたのだと気づきました。

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